若手なりに職場を楽しむ
若手の仕事は雑用が中心であるとは言いつつも、その雑用こそ職場の雰囲気を良くも悪くもしてしまうものだと感じている。
若手は先輩からたくさんの仕事を頼まれる。例え誰にでもできそうな大したことないことも。
でも、その大したことない小さなことをどれだけ高品質でスピーディにできるかで自分に対する評価も変わるのだと思う。
だから私は雑用に手を抜かない。
誰がなんと言おうとも、丁寧かつスピディーに雑務をこなす。
雑用をしっかりやってると良いことは、自分の職場での居心地が良くなるということだ。
そこさえ押さえてしまえば、多少自分のしたいことをしてても文句を言う人はいなくなる。
若手は雑用くらいしかやらせてもらえないからこそ、雑用で信頼感を得るとともに、自分のために使える時間もきちんと確保するのである。
昇進すれば雑用をすることはなくなるが、同時に、職場で自分のためだけに使える時間も減るのだ。
それに今気づいたからこそ、今は本気の雑用と本気で自分のために使う時間をメリハリをつけてこなしている。
それが若手が若手なりに考えた最適な過ごし方である。
本当のこと
去年の4月に採用後、半年間の研修を経て10月から職場に配属され4ヶ月目になる。
この4ヶ月間、これまでの人生では出会うことのなかった人と出会い、また、見ることもなかった社会の現実を目の当たりにしてきた。
社会は思っているよりも綺麗じゃない。
私が見てきた世の中は、美しくて、輝いていて、夢に満ち溢れたものだった。
しかし、それはごく一部で、現実はもっと、汚く、生々しく、簡単ではなく、答えは一つではないということなのである。
そして、私が見ていた”社会”というのが、メディアを通してどれだけ編集されたものだったかということにも気づかされた。
テレビを見て、インターネットを見て、SNSを見て、他人の話を聞いて、授業を聞いて、、
私の社会は全て他人の目が見たものの間接的な情報でしかなかったのだ。
だけど、実際自分の目で見たそれは、決して今まで見聞きしてきたそれとは全然違うし、私が夢見たものってなんだったんだろうと思うこともよくある。
でも、それが現実だ。
だからこそ、もっと本当のことを自分で見る目を養わないといけないとも思う。
受動的な姿勢で勝手に入ってくる情報というのは多くが編集されているし、例えリアルに近い情報が発信されていても、人間は自分に都合の良いように解釈を加えてしまう。
リアルをリアルのまま伝えることは難しいからこそ、リアルを実際自分の経験として体験することが重要なのだと思う。
仕事のことに限ったことではない。
例えば、
どれだけテレビのゴルフ中継をみて、ゴルフって楽しそうだなと思っても実際やってみれば簡単ではないことに気づく。
やってみて初めてわかることはまだまだたくさんあるのだと思う。
リアルを自分で経験していかなければ、どれだけ情報が豊かな時代でも、”本当のこと”には気がつけない。
”本当のこと”は、自分でやってみた人にしかわからないし、本当の難しさや苦労は外から見ていても全くわからない。
見えるのは美しい見た目だけ。
水鳥はその美しい見た目とは裏腹に、水中では足掻いている。
まさにあがいているのだ。
人間、自分の足を使って行動しないと、本質は見えてこないなと、感じるのである。
Camblyを始めて2週間
オンライン英会話、Cambly を始めて2週間が経つ。
週3日、1日あたり30分間のプランに登録しているので、毎日英語を話すわけではないが、この2週間でCamblyの使い方にも慣れてきた。
そして、今後の英会話学習の方向性が大まかに見えてきたので記録しておく。
まずこの2週間は30分間のぶっ通しのレッスンはしておらず、いろんな先生と15分ずつ1日2回のペースでレッスンに参加してきた。
これまでのレッスンを通してお気に入りの先生を見つけることができたので、今後は1日30分間通しで受講してみようと思う。
会話の話題については現在も模索中で、たまにはフリートーク形式もいいかもしれないがなるべくトピックを準備して臨みたいと思う。
Camblyの機能としてレベル別の教材も用意されているが、ざっと見た感じ自分の話したい話題があまりなかったので自分で準備していこうと思う。
例えば次回は”お金の使い方”について30分間話すことにしており、社会人になってお金に対する価値観が変化した私の経験や、お金に対する考え方について話せたらと思っている。
自分で話題を準備する以上はしっかり30分間の構成も自分で練らないといけない。
どんな導入で会話を温めるか?
どんな質問をするか?
また、会話が講師の一方的な話を聞くだけにならないように、いかに自分の話も挟み込んでいけるか、
そして、会話の中で得られた知識や知恵に対してトークの結びの部分で感想や意見をどう伝えられるか?
全て準備次第である。
Camblyを通して、英会話に慣れることだけではなく限られた時間の中での会話の組み立て方だとか、相手から自分にしか聞けないようなエピソードを引き出す力とかそういう力をつけていきたいと思っている。
とはいえまだまだ基礎的な英語力は足りないと実感している。
今まで英文法も英単語も長文読解も練習してきたのに、会話となると全然歯が立たない。
今までは机の上で勉強するのが中心だったが、せっかく身につけた英語の基礎力を今度はアウトプットという形で応用させていきたいと思う。
全く英語ができないわけではなく、知識はあるのだから、あとは会話の場で訓練していくしかないと思う。
30分という本番に向けての準備こそ、私の知識を生きた英語に変える大事な時間である。
さらに英語力を鍛え、コロナが落ち着いた頃には街へ繰り出し海外から訪れた人と会話を楽しめるようになりたい。
現在は、過去の意味づけの上にある
現在は、過去の意味づけの上にある。
例えばこんなことを思う。
「大学時代にもっと遊んだけばよかったなあ、もっと旅行行ったり、もっと英語を勉強したり、もっと筋トレしたり、もっと人と関わったり、、しとけばよかった」
まあそんなことをふと思うこともあるわけさ。
でも時間を巻き戻すことはできない。
だけど、その後悔さえもプラスに変える方法があると僕は思うのだ。
ただ後悔していたって今の私が変わるわけではないし、余計な自己嫌悪に陥るだけだけど、
その過去の解釈を変えてしまえば、今の私の勝ちである。
例えばね、
あの時筋トレしとけばもっとモテたかなあ、、と思うのなら、今から始めればいい訳だし、
あの時もっと英語勉強してたら今頃外国人とたくさんお話しできたのになあ、、
と思うのなら、今から勉強してもいいのだ。
人生の最も新鮮な部分=今日 な訳だから、
過去の自分に苦言を呈することなく、ただ今からもう一度やってみればいいのである。
だから私は今改めて英語を勉強し始めたし、
筋トレも少しずつ初めてみた。
これがどういう結果をもたらすかは未知数だが、やらなければまたいつか後悔するだけに終わるはずである。
現在は過去にどういう意味を与えるかで変わってくる。
どんなに後悔していても、過去は今からでも十分解釈変更できる!
事実は変えられずとも、意味を変えて今にプラスに生かせばそれでよしなのだ。
明日の不安も昨日の後悔も感じる必要ない。
ただ、過去の積み重ねの上にある今日という日を、今まで生きてきた自分に誇れる1日にしさえすれば、それだけで100点なのだ。
習慣化に関する考察
ある手に入れたい習慣があるとして、
それを習慣化するまでには段階がある。
1.スタートを切る
2.継続して実施する
まず、スタートを切るという段階でエネルギーが必要。水が重力で低い方に流れるように、人は力を入れていないと楽な方に勝手に転がっていくものだ。決意をしてもスタートを切らないことには勝手に楽な方に転がっていく。
だから、まずはスタートを切ろう。
スタートを切りたいと思ってからスタートを切るまでの時間に比例して、やらない言い訳、やりたくない気持ちは増大するものだ。
すなわち、やろうと決めたら有無を言わさず即実行してみる。
この時点では先のことは一切考えないこと。
先を考えると余計に初速がつかなくなるから。
さあ、まずスタートを切ったらこの時点で習慣化の第一段階はクリアである。
よくここまで来れた。
邪念が湧き上がる前によく行動できた。
これは簡単そうでなかなか力がいることだから、一段階をクリアした自分を褒めてあげるといい。
さて、二段階目、継続する段階まできた。
継続というととても長く感じるし、習慣にし始めた頃というのはこれまた体力を消耗する。
これは仕方ないことである。この事実をまずは受け入れること。
そして、先を見過ぎないこと。
長く続けようとは思うなかれ。
まずは明日もやってみよう、くらいの気持ちで十分。次第にそうやって意気込まなくても明日できるようになる日が来るから。
それが習慣てもんだから。
逆説的だが、習慣化したいことがあったら、習慣にしようと思わないことが大事かもしれない。つまり、習慣というのは、後から気が付いて習慣になってた、という"結果"に過ぎないからだ。
だから、習慣にするためには、「ただスタートを切り、今日やれたらまず良しとし、次は明日のことだけ考える。」
その繰り返しの結果として、習慣が自動的に形成されていくのだと思う。
影響を受けている人 2人目
TBSアナウンサーとして活躍されている安住紳一郎さん。
僕は彼のラジオ番組が好きで良く聴いている。
日曜朝10時から始まる、安住紳一郎の日曜天国である。
ラジオを聞くにつれ、テレビでの姿はあくまでも彼のほんの一部分であり、本性はラジオによく表れているなという印象だなと感じるようになった。
状況を面白い切り口で切り取り、かつ、絶妙な表現で語る番組に虜になっているのは私だけではないはずである。
番組自体のエンターテイメント性に惹かれるだけでなく、彼の表現力、話し方、間の取り方、落ち着き、相手から話を引き出す力、、などなど対人力全般で学ぶところが多い。
アナウンサーとして長年TBSにお勤めでありながら、彼自身は自分をいちサラリーマンとして捉えており、世の中の一般サラリーマンの感覚を忘れていない点が私たちの心を掴むのかもしれない。
どんなに有名になろうとも決して驕らず、庶民派なところがいい。
低姿勢でありながら、時にはグサリと直球で毒を吐く、そんな彼が私は好きだ。
そして、彼のような表現力ができるための基礎となる人間力はいかにして培われたかという点にとても興味が湧くのである。
おそらく、彼はかなり研究熱心な部分があると思う。幅広い分野について興味を持ち、自分なりに調べてよく解釈していると思う。
知識量が多いことは当然ながら、ただ多いというだけでなく、それを独自の視点で解釈して、ただ正面から受け取るのではなく、少し疑うというか、斜に構えて物事を見ているからこそ、他人が思いつかない面白い表現が出てくるのだと思う。
僕も彼を見習い、ただ真面目に物事を捉えるのではなく、世の中にはあらゆる面白いことが転がっているという前提のもと生きてみたいと思った。
人生は喜劇だ、誰かが言っていたが、その通りであろう。
彼の視点を持ってすれば、あらゆる出来事がラジオの話題になる。
僕もラジオパーソナリティの視点を持ってみようかな。
いつもならスルーしてしまう日々のよくある光景が、実はとっても面白みに溢れていると気づけるかもしれないから。
そうすれば人生はもっと奥が深いものに感じられるのかもしれない。
彼のラジオを通して人生の奥深さと、伝える力について考えさせられた次第である。
彼は世の中の切り取り方を教えてくれる「社会評論家」である。