れんこんのあなのなか

1998年生まれの男の頭のなか

解き放たれる  

今日を機に、YouTubeSNS、その他いろんな情報サイトから一度離れてみることにした。

 

ーどれだけ便利な世の中になっても、それだけで人は幸せにはならないと気づいた。

そして、不便だからといって決して不幸ではないー。

 

 

 

ふと、高校までを過ごした地元を思い出した。

僕の実家は山間にあり、目の前を田んぼと畑、家の裏手は森が広がる。家からコンビニまでは車で15分かかり、近くにスーパーまでは20分ほどかかるような田舎だ。隣町の映画館は10年くらい前に潰れ、2時間近くかけて出かけないと映画館はない。たまに市民ホールで上映されることもあるが…。

 

もちろん、スマホさえあればわざわざ車を走らせなくても映画が見れる時代になった。

スマホで注文しさえすれば時と場所を選ばずにAmazonで買い物ができる時代になった。

 

時代は進歩した。

 

18歳で都会に出た僕はもっと便利さを知った。

 

22歳で東京に出てきてもっと便利な世界を知った。

 

美味しいご飯が食べられるレストランは車を走らせなくても自転車で行ける場所にたくさんある。

コンビニも家の目の前にある。

勉強しててわからなければYoutubeの動画を見れば誰かが教えてくれる。

 

自分の足を使わなくても、ここにいればなんでも手に入ると思った。

 

しかし便利さによって幸せを手にしたかと問われれば、全てがそうではないと答えるだろう。

便利でありがたいことはたくさんある。

 

 

しかし便利が溢れると人は怠惰になる。

 

 

動かなくても欲望は満たせる。

 

 

怖いと思った。

 

 

このままじゃ引きこもりになると思った。

 

 

 

 

あの頃が懐かしい。

 

なぜか日テレ系列が入らず、母の実家に行かないとごくせんもイッテQも見れなかったあの頃。休日はもっぱら裏山で秘密基地作りか川で魚釣りか畑や田んぼのお手伝いをしてた少年時代。

 

アクティブでアウトドアな自分が確かにいた。

 

その心を今、忘れかけてた。

 

便利すぎる世の中のシステムから解き放たれ、もう一度本当の自分を取り戻そう。

 

時代は進歩したが、僕は進歩したのか?

 

わからないことがあれば図書館で文献を探し、人とは直接出会い、野山を駆け巡った頃のように、

 

世界中を走り回る自分が本来の自分であるはずだ。

 

 

便利は少しだけ僕を押さえ付けていただけだ。

 

そして少しの不便を課すことでかえって僕はアクティブになれると思う。

 

 

 

便利を手放し、今解き放たれる。