れんこんのあなのなか

1998年生まれの男の頭のなか

23歳になりました。

2月に誕生日を迎え、23歳になった。

ふと両親の目線で自分を俯瞰してみた。

すると23歳になることって、特別な意味があるのかなとふと思った…。

 

 

23年前、両親のもとに生まれ、たくさんの愛情を注いでもらって大切に育ててもらったと思う。

両親だけじゃなくて、父方も母方もどちらもの祖父母にもたくさん愛情を注いでもらった。

たくさんの親戚にも大変お世話になった。

 

僕は決して1人でここまで生きてこれたわけじゃないんだなと思った。

 

一人暮らしを大学生で始めて、もう5年目になる。

 

一人暮らしをしていると、もう何もかも1人でできるような気がしてくるけど、実は全然そうじゃなくて、まだまだ家族には助けられる部分も大きい。

離れていても僕のことを気にかけて連絡してくれたり、お米や野菜、お菓子やレトルトのカレーなんかを送ってくれることもよくある。

送料を考えたら僕がこっちで買った方が安くなってしまうこともあるんだけど、それでも定期的に荷物を送ってくれる家族には感謝の言葉しかない。

 

大学を選ぶ時も、就職で上京する時も、本当にワガママを言ったしたくさん言い争いになった。

 

それでもいつも応援してくれる家族の存在はいつまでも僕の人生において偉大な存在である。

 

普段家族と過ごしていないとこういう感覚は薄れがちで、自分1人で生きてる感覚に陥るんだけど、家族はいつでも離れて暮らす僕を心配してくれてると思う。

 

仕事をし始めてからは自分の都合だけで自由に帰省できないし、コロナの影響もあるから余計に家族には不安を抱かせてしまっている。

 

申し訳ない。

 

だけど、自分の意思で今ここにいる以上は、

家族に成長し続けている僕を見せなきゃいけないとも思う。

 

 

幼い頃は親や周りの人たちが僕を見ててくれた。

だけどその人たちは今近くにはいない。

 

だから僕はひとりで頑張らなくちゃいけない。

ひとりじゃないんだけど、実際にはひとりなんだ。

 

考え込むこともたくさんあるし、理想通りの人生じゃない。

 

でも、そんな時に弱い自分を家族には見せたくない。

 

もっと心配をかけると思うから。

 

だから、家族と会うのを楽しみにして、それまでには何か成長して良い方向に進化した自分でありたいなと思う。

 

それが、僕にたくさんの愛情を注いでくれて、また、投資をしてくれた家族への恩返しだと思うから。

 

事実、たくさんのお金を僕のために使ってくれている。

ひとりっ子だから両親は僕にたくさんの経験をさせてくれた。

 

その経験があるから今の僕が形成されてきた。

 

今僕は、自分でお金を稼ぐようになり、これからどんな自分を作っていくかは僕自身の判断に委ねられている。

今までなら親が全てやってくれて何も考えなくても良い方向に進めてくれた。

そのありがたさをちゃんとわかったのはつい最近のことだ。

 

今からは自分で決めていくのだ。

とても不安だけど、そうやって自分自身を自分の判断で形成して行くのが大人なのだと思う。

 

22歳まではまだ子供だったし受け身でなんとか生きてこれた部分が大きい。

だけど、これからは人生の多くの部分を自分の判断と自分の責任で生きていかなきゃいけない。

 

23歳になったということの意味は僕の人生でかなり大きいのかもしれない。

 

まだ実感はないけど、これからは自分の行動ひとつひとつを自分で尻拭いしていかなきゃいけない。

その反面、自分の力でやり切ったことは自分の宝にもなっていくはずだ。

 

自分の人生を、自分の手で操縦桿を握って動かして行くのがこれからの人生だ。

 

高校生までは親がほとんど操縦桿を握ってくれ、大学時代は、操縦桿は自分で握ってたけど親が横でナビゲートしてくれてた。

 

今年からは横に親はいない。

 

自分で目的地を決めて、自分でエンジンをかけて、自分で離陸して、自分で安全に飛行して、自分で危ないものを避けて、飛びながらも自分でタイミングを見計らってうまく休憩をとり、自分の判断で安全に着陸しなきゃいけない。

 

そういう時が僕にもきたということなのだ。

 

ちゃんと大人になったのだ。

 

ここまで連れてきてくれてありがとう。

 

そして、これからの人生、ここまで連れてきてくれたたくさんの人に誇れる人生を送れるように頑張ります。

 

長々と書いてしまったけど、一年に一度の記念日を迎えるにあたっての想いなので許してください。