れんこんのあなのなか

1998年生まれの男の頭のなか

親になったら読ませたい話(兼、自分にも言い聞かせてる話)

仕組みを作るものが世の中を制する。

 

仕組みに組み込まれるものは仕組みを作った者の都合の良いように使われる。

 

だから、仕組みを作る側になりなさい。

 

だけどあなた一人にできることはせいぜい知れている。

 

だから、いい仲間を見つけなさい。

 

じゃあ、どこにその仲間はいるのか。

 

多分、今の世の中、自分で探せばどこに行っても、いい仲間は見つけられると思う。

 

旅に出るのもいい、

大学に行くのもいい、

本屋に行くのもいい、

起業するのでもいい、

 

だけど、ここで大事なのは、今君が生きてる日本とその他多くの国では民主主義という仕組みで世の中が回っているから、たくさんの人に支持される方法を採用した方が、応援してもらいやすいのさ。

 

だから、一番簡単な方法は、大学まで行くこと。

 

 

それからの人生は君が自分で考えなさい。

 

大学に入るまでは僕が面倒をみるから、他のことは心配しないで目の前の目標に向かって頑張りなさい。

 

大学に入って一人暮らしをすると多分気づくよ、今までは勉強さえしてればよかったけど、これからは違うんだと。

 

アルバイトのこと、サークルのこと、恋愛のこと、自炊のこと、健康のこと、洗濯のこと。

 

意外と考えなきゃいけないことはたくさんあるんだ。

 

そして、勉強は一生しなさい。

 

大学を出たら学生が終わるなんて思ってはいけない。

 

そこからが本番なんだよ。

 

大学を出たら、勉強して、さらに君はお金も稼がないといけない。

 

やりたいことを自由にやるには、お金がかかるというのも今の日本と多くの国での仕組み上仕方のないことなんだよ。

 

これがいわゆる、資本主義ってやつさ。

 

だから、この仕組みの上で生きてる以上、お金をどう稼いでいくかも大事なんだよ。

 

ただね、ここが難しいところなんだけど、お金を稼ぐことばっかり考えてても幸せにはなれないんだよ。

 

お金があっても、人は魅力的ではないと思う。

 

これはあくまで僕の意見だから、参考程度に聞いてね。

 

人は一人では生きていけないし、事実あなたはたくさんの人の愛情と周りからの教育によってここまで育ってきた。

 

だから、あなたが大人になっていくにつれて、今度は君が社会に恩返しして行かなきゃいけないと思う。

 

そうじゃないと人類は滅んでしまうのさ。

 

もし君が1億円を与えたれたとして、それを自分のためだけに使っても、その1億円って寿命を迎えるまでに使い切らないといけないわけだ。

 

もし使い切れても、君が死んだら、君がどんなに幸せを感じていたとしてもそれは君の心の中でしか咲かないんだ。

 

だけど、その1億円で自分に投資をし、自分を成長させ、さらにそれを他の人に還元できたら、その花の種はあなたが与えた人の中で咲くのさ。

 

君が死んでも、その花は咲き続ける。

 

そうやって人類は循環し続けてきた。

 

 

君が知らない、君のご先祖さまが君のおじいさんにその花の種と育て方を教えてくれたからおじいさんは僕に自分が習ったように教えてくれた。

 

今度はお父さんが、君に教える番だ。

 

そして、君にも、君に子供ができた時子供に教えてあげて欲しいんだ。

 

君のご先祖さまからの大事な申し送りを絶やしてはいけない。

 

 

お父さんも昔思ったのさ、

僕のおじいちゃん、君からしたらひいじいちゃんだね、彼が亡くなった時、とても悲しくて泣いていたんだ。

だけど、肉体的にはこの世の中からいなくなっちゃったけど、その姿とか、教えてもらったことは今でも僕の心に残り続けるってことをね。

 

 

つまり、僕のおじいさんはまだ僕の心の中で生きているんだ。

 

そして、この魂を絶やさず君が引き継いでいてくれたら、僕も嬉しいと思うのさ。

 

 

 

これが、君に大学卒業するときにぜひ改めて話したい話なんだ。

 

今はまだよくわからないと思うけど、まだいい。

 

大きくなたらまた話すよ。

 

 

 

経験談:睡眠と仕事のパフォーマンス

「人は人生の1/3を寝て過ごす」

 

これは、24時間のうち8時間を睡眠に当てた場合の簡単な算数計算である。

 

 

最近の私は、平均5、6時間睡眠が習慣になっている。

0時前後に就寝し、仕事の日は5時に起きる。

 

まあ、どう考えても理想的な睡眠時間よりは少ないのだ。

 

 

最近、寝不足で仕事に行った時、自分では気を張っているので眠気はないのだが、パフォーマンスが落ちていることに気づいたのだ。

 

仕事中のミスが多い。

また、記憶力が低下していることにも気づいた。

 

思考力、ワーキングメモリの質を低下させないために、睡眠が重要であることは言うまでもない。

 

今後の計画は、

時間的な目標として、8時間睡眠を目指す。

 

8時間寝るにはそれなりの疲労がないと寝つきにくいため、睡眠と健康のために運動をする。

 

勉強、運動、食事の質を高めることが睡眠問題を解決することである。

 

1/3寝たとしても、それは、残り2/3で使った体や精神を修復するためのものであると自覚しなければならない。

 

 

睡眠問題を睡眠だけで考えることはナンセンスである。

 

起きてる時間の充実度がそのまま睡眠の充実度に直結する。

 

結局人生はメリハリが重要であると言う話である。

 

 

 

 

 

「社会貢献」という言葉の再定義

中学生くらいであろうか、社会貢献という言葉を使えるようになったのは。

 

当時は社会貢献とは、お金儲けを考えず世のため人のために無償で何かをすることだと考えていた。

 

しかしその言葉の意味はそうではないことに次第に気づくようになってきた。

 

社会での経験も少ない私ではあるが、「社会貢献」の意味がより本質的にわかるようになってきたと思うのでここで改めて言葉にして再定義してみたいと思う。

 

 

社会貢献とは、

「なんらかの技術・知識を使って、社会問題を解決する、または状況を改善させること。」

 

 

 

このうち、前段の「なんらかの技術・知識」とは、例えば医療分野、土木分野、農業分野など専門となるものであり、いわば縦糸である。

 

後段、「社会問題を解決する、または状況を改善させる」ためには、専門知識の他に、そもそも問題は何なのかを探究する力や人にうまく役割を与えてチームをうまく回す力など、”ビジネススキル”と言われるようなスキルも求められる。

これは分野を問わずに使えるという意味で横糸になるだろう。

 

この縦と横の両方があって初めて問題が解決されると私は思うのだ。

 

だから、ビジネススキルと言われるような理論や方法論だけ知っていても直接問題は解決できないし、専門性だけあっても問題解決という意識がないと受け身になってしまうと思うのだ。

 

例えば、岐阜県と長野県の境には山脈があって、岐阜と長野は隣県であるにも関わらず両県間のアクセスは非常に悪い。

そこで、もし飛騨山脈を横断するトンネルをつくれば、県境を簡単に行き来できるようになるため、そのような計画を立てる場合を考えてみたい。

 

すると必要になってくるのは、いかにしてトンネルを掘るかという、土木技術だろう。

 

しかしそれだけではトンネルは掘れない。

 

そもそもそこにトンネルを掘る価値はあるのか、需要があるのかを考えないことには計画も何もない。

そこには、市場調査や統計のスキルが必要になる。

 

実際にはもっと複数分野の専門家たちでプロジェクトが運営されるのだろうが、要は、トンネルを通すために必要なのは、トンネルを掘る技術だけではないという事が言いたいのだ。

 

どれだけ安全に早くトンネルを掘れる技術があっても、需要のないところに掘られたトンネルに価値はない。

 

社会になんらかの価値を提供してこそ社会貢献である。

 

そして、一般的に、社会に価値を提供しているのは多くの会社・企業であるため、それらの価値を生み出すために必要な能力を一般的に”ビジネススキル”とよんでいるのだ。

 

ただ、会社勤めでない学生や公務員にも同じようなスキルは求められるはずだ。

 

だからあえて”ビジネススキル”には””をつけている。

 

私は、”ビジネススキル”の本質は「課題解決」にあると思うので、課題解決スキルと呼んでもいい。

 

”ビジネススキル”の本質がもしお金儲けにあるのだとすれば、金をいかに稼ぐかにフォーカスすべきだが、そこが本質ではないとは思う。

 

お金が儲かるのは結果論だと思う。

 

どこの経済学部でも経営学部でも、お金を儲ける方法は教えていないはずだ。

 

お金が儲かるその仕組みは教えていても、お金の稼ぎ方は教えていない。

 

お金というものは、需要と供給のバランスの結果、需要のあるものに人がお金を使ってくれるため、その見返りとしていただけるものである。

 

 

 

最後に、

「お金を儲けるためには、お金をどう儲けるかは考えてはいけない」というある本での一節を思い出した。

お金儲けとは結果論であることと、お金儲けだけを考えるとつい短絡的で非常に危うい発想になるということなのだ。

 

先の例で言えば、もしお金儲けのためにトンネルを作るとすれば、突貫工事をすることになり非常に危険なトンネルが出来上がるだろう。

そんなトンネルは社会になんの貢献もしないのだ。

 

ただ自分の利益のためのものだから。

 

そんなわけで、

社会貢献とは、問題解決能力+専門能力が必要で、お金に関してはその結果としていただけるものである、とまとめさせていただこう。

 

一応追記しておくが、

需要があるかないかをしっかり分析しておくことはお金が儲かるかどうかを調べることにほかならないので、いわばお金のことまでしっかり考えることになるのだが、それは、お金が儲からないと社会貢献は成り立たないという逆説的事実でもある。

 

循環し、持続可能な社会にはお金の循環も欠かせない。

 

目先の自分の利益ばかり考える者は社会に貢献もできなければお金も儲けられないという皮肉である。

 

 

 

 

 

 

 

モノにする読書術についての考察

序論

世には読書方法に関する書籍が存在する。

それらのノウハウ本を読んだからといってすぐに読んだ本が頭に入るとは考えにくい。

なぜなら、その方法論はあくまでその読書術の本を書いた著者のやり方であり、汎用性が高いとは限らない(再現性が統計的に証明されたわけではない)からである。

 

そんなことを言いながら私も読書方法について文章を書いているのでやっていることは彼らと変わりないのかもしれないが、これはあくまで考察なので正解かどうかは検証してみないとなんとも言えない、と前置きしておこう。

 

 

本論

さて、読んだ本をモノにするための方法論について2、3仮説を立ててみよう。

 

1、読書感想文、もしくは要約文の作成

一読した後、数枚のレポート用紙に本の内容をまとめ、かつ自分の感想を書いておく方法。レポートを書くには1回読んだだけでは到底書けるはずはないので何度も読み直すことになるだろう。そのため、結果的に内容が頭に入りやすくなる可能性がある。

記憶のメカニズム的にも繰り返す行為は有効であるはずだ。

 

2、授業をする

その本を他人に説明する立場になったと想定し、説明を考える。

その際、例えばパワポを作ってみたり図を作成してみたりする工夫により、さらに伝わる授業になるだろう。目的は、授業をすることそのものではなく授業の準備を通して自分の記憶に本の内容を深く刻み込むところにあるということは忘れてはいけない。

勉強でも、人に教えることで教えた側がより一層勉強になるということもきいたことがある。

 

3、音読、精読

文章を読んでいると無意識に飛ばし読みしてしまう。眠かったり、集中力が途切れて読みやすいところだけ読んでいるのだろう。しかし、精読をすることで内容を細かく読み込むことにつながるかもしれない。

また、音読するという行為も、目だけでなく耳からもインプットすることとなり、より効果的かもしれない。

音読や精読は流し読みしているときよりも集中力が求められるため、集中して読むという意味では効果があるのかもしれない。

 

 

結論

現段階で3つ仮説を立てたが、どれにも共通することとしては、アウトプットが重要ではないか、ということである。つまり、読んで終わりではおそらくすぐ記憶から抜ける可能性が高いのだ。読んでいる最中や読んだ直後は新たな知見に満足し、達成感があるかもしれないが、それで終わるのはもったいない。

モノにする読書には時間と手間がかかることは間違いないだろう。

しかし、手間と時間をかけた分記憶に残りやすいのならやる価値はあるだろう。

 

今後は、効果のある(記憶に残る)方法を検証し、早期に確立したい。

 

 

好きな人からのLINEが来た。

たった一行の返信が、こんなにも嬉しいなんて。

 

明日仕事だというのに、僕はウキウキしている。

 

3日ぶりくらいのLINEだから、余計に嬉しい。

 

スピッツが聴きたくなる夜だ。

 

 

 

なんて男は単純な生き物なんだろうとつくづく思う。

「考えること」は必ずしも生産性のある行為ではない、という学び

アランの『幸福論』にこんな一節がある。

「思考というものは、必ずしも健全とはいえない一種の遊戯である。」

 

つまり、考え込んで行動しないでいると、不安感や焦りが生まれる。

 

そして、こうも言っている。

「金持ちたちの生活を満たしている種々の用事・・彼らは無数の義務や仕事を自分でつくり出しては火事場にでもいくように駆け回る。・・・彼らは世間の中で暮らしたいのであって、自分の中で暮らしたいのではない。・・・生というものはこれを満たせば満たすほど失う心配がなくなる。」

 

暇であればあるほど、人は自分の思考の中で生きようとし、世界を見る視野が狭くなる。

一方、やるべきことを自ら創造して(押し付けられるのではなく)忙しくしているということは、不要な思考を排除し自らの人生を豊かにするということを言いたいのではないだろうか。

 

 

私は今まで「考えること」=「良いこと」と思っていたが、これはある意味正しく、ある意味間違っていることに気付かされた。

 

行動を前提とした想像的な思考と、行動した結果を分析的に思考することは、生産性のある思考であるが、行動をしないがためにただ自分の中で答えのでない思考を繰り返すのは無意味であると学んだのである。

 

 

そして、忙しさにも種類がある。

他人から押し付けられた仕事に追われる忙しさは質の悪いものであるが、自らが不要な思考をしないために予定をたくさん詰め込んで行動的な日常を送っている場合の忙しさは質のいい忙しさであるということである。

 

 

アランの『幸福論』は簡単な文章ではないので少し読みにくいと感じていたのだが、じっくり読んでみるとその時々で新たな解釈ができ楽しい。