私の働き方改革:2021春
今の思考を整理する。
4月に職場内の異動があり新しい環境での生活がスタートした。
1年目は特定の仕事を担当するというよりも、まずは自分自身のことを滞りなくこなすことで精一杯だった。
2年目になり担当の仕事も任されるようになってくる。
まだ仕事についてほとんど知識がないため、先輩の後ろをついて何をやっているか一生懸命観察している日々である。
これからは自分のためだけでなく、職場の戦力を担っていかなければならない。
しかし、自己研鑽も欠かしてはいられない。
目の前の仕事に時間と労力を割くばかりで自分のために使う時間をおろそかにはしたくない。
そのためにも速く仕事を覚えて周りから水を刺されることなくさっさと片付けられるようになりたい。
そして自分の時間を使って、勉強やキャリアアップの準備をしていく。
大人になるということはこういうことなのかもしれない。
組織の一員として働く以上、自分のやりたいことだけやっていて済まされることはない。自分のこと以外に時間をさかなけれならないということは、それだけ責任あるポジションを任されたということである。
こうやって次第に責任意識が生まれ、大人になっていくのだろう。
これまで以上に自分の時間を自らで作っていく意識が必要になるだろう。
だらだら仕事をしても仕事は片付くかもしれないが自分の時間はなくなる。
自分の時間でどれだけ成長するかが今後の人生の道筋を決定する。
今月からは、これまで以上に仕事への取り組み方に関する意識を高く持ち、効率化を追求していこうと思う。
そして、メリハリを持って自分の時間で勉強もたくさんしたい。
人生のポートフォリオのなかで、未来につながることはより価値がある。今だけできればいいことは要領よく終わらせていけばいいのである。
その使い分けと、いい意味での開き直り、緩急をうまく使いこなす器用さがこれまで以上に必要になるだろう。
ただ真面目にやればいい生き方は今の仕事では使い物にならない。
考え方を変え、”うまくやる”力、器用に仕事できる大人になろう。
それが4月を境とした私の働き方改革である。
ちなみに。
趣味の充実も4月から推進していく。
仕事の中での要領よさを身につけたら、今度は娯楽も取り入れて人生を豊かにする。
趣味については今後別の記事で詳しく書きたい。
とりあえず今回の記事の内容は、
今月から仕事の仕方の意識を変えることで、私の中での働き方改革を実行していこうという話であった。
大先輩の話を聞いて感化される23歳
今日の内容は、職場の大先輩とお話しさせていただいた時に学んだことである。
自分が子供の教育に投資することを考えた時、自身もそれなりに勉強してないといけない(勉強の体力をつけておかなければいけない)よなという話があがった。
子供が大学に行きたいと思うような環境が家庭内でできてるかが子供の思考に大きく影響する。
どれだけ親が教育熱心でも子供がその気にならなければ意味がない。
親子同士のコミュニケーションが大事だということだ。
親子の関係性を円滑にするための方法として、子供の国語力を向上させることがいいという。
それは現代文が得意になるというメリットだけでなく、伝える力や語彙力が増すことで伝えたい感情を言葉にして伝える力がつくという。
事実、自分も思春期に親と対立したことがあったが、もっと語彙力があって伝えたいことがしっかり伝えられていればもっと気持ちを伝えられたのかもしれない。
もう一つ、子供に楽器を習わせることもいいという。
例えばピアノ。
先輩がおっしゃるピアノをすることのメリットは以下の通りである。
1、先を読む力がつく
楽譜は、今まさに引くべき音符を見ながら演奏しているようでは曲にならない。
楽譜の先を読みながら演奏して初めてスムーズな曲になる。
2、情報処理能力がつく
左右の手で違う動きをし、耳も使い、周りの人の目線も受けながら演奏することでまず五感が豊かに、シャープになる。五感が鋭くなるということは視野が広がることにつながる。五感を活用すれば様々な情報に敏感になれるし、どんどん進んでいく曲をスムーズに演奏する行為そのものに高い情報処理能力が必要であることは言うまでもない。
3、耳が良くなり、語学習得にもいい。
語学習得をするとき、耳がいいことはメリットである。モノマネが上手い人が歌がうまいのと同じように、語学はいわばモノマネである。語学のセンスと言われるものの大部分が聞き取る力である。
耳で聞いた情報をなるべくその形のまま口に出して表現できるのは音楽も語学も同じである。オンガクを”音学”ではなく音楽”と表現するのなら、学問的な意味を除いた語学(コミュニケーションをメインとした言語習得)も”語楽”と表現してもいいくらいであろう。
そんなわけで、23歳の私は趣味としてピアノでも始めようかと思っている次第である。
そして将来自分の子供ができたとき、自信を持って勉強をがんばれと言えるように勉強の体力を今のうちにもっとつけておきたい。
子は親の背中を見て育つ。
大袈裟だけど、将来の子供そして未来の子孫に誇れる生き方と優秀な遺伝子を僕の力でさらに磨いていきたい。
「屁かと思ったわ」っていう話
朝の通勤電車。
たまたまひとつ空いた席に座った瞬間、昨晩ニンニクたっぷりの焼肉を食べた人のようなの屁の匂いがした。
うわ!これさっき立った人が直前に屁をしてそれが座席に染み付いてて自分が座ったことで匂いが立ち上がったんやわ、、と思ってしばらく座っていた。
次の駅で人がたくさん降り、席が空いたので別の席に移動した。
しかし座った瞬間また同じにおいがした。
やば。
しかし数秒後気付くのである。
今日僕の作った弁当のメインは、豚肉の炒め物。
しかも生姜とニンニクをたっぷり入れて炒めたもの。
作ってから1時間も立ってないから香りもいいはずだ。
この匂いはこいつのせいだった。
たぶん俺の今日の屁は臭い。
東京タワーの夜
夜空を見上げた時、淡いオレンジ色の霞がかかった場所が見えた。
その下にそびえる東京タワーの明かりだ。
街を照らす温かなオレンジ色を見てると、自分が今東京にいるんだと実感する。
東京に来て1年が経つ。
まだ東京の主人公にはなれてないと思う。
東京で生きてることを実感するために、またしばらくしたら東京タワーが見えるところまで遊びに行くのだろうと思う。夜に。
勉強欲と性欲について
人間の3大欲求が性欲である意味は、子孫繁栄のためであることは頭では理解できる。だが、性欲とはうまく付き合わなきゃいけないなと最近思う。
我々はお猿さんとは違う。
性欲をある程度理性で抑え、勉強を頑張らなきゃいけないのである。
理性を持って性欲を制するものが、文明を開く。
そんな気がする。
父母ともに新たなステージで飛躍の年に。俺も負けんぞ!
たまに、なんのためにブログを書いているのかわからなくなる。
しかし、このブログに目的などない。
ブログを誰かに読んでほしいという承認欲求があるわけでもなく、お金儲けに利用したいわけでもなく、ただ、僕の思考を記録する場としてちょうどいい棚が見つかったからここにとりあえず入れとくか的な感じである。
もともとはLINEで一人のトークルームを作ってそこに考えたことを溜め込んでいたのだが、ただ書いて入れておくだけではせっかく考えたことを見返すこともなくもったいないなあと思いブログに移動してきたわけである。
しかしながら、ブログという性質上見知らぬ誰かが読んでいる可能性もあるため多少なりとも体裁を気にしないわけにはいかない。
とはいえ今後も自由に書かせていただく。
日記みたいなもんやから適当にダラダラ書いていく。
それでいい。
さて、今日の内容は、「両親も新たなステージに立った」ということについてである。
大学卒業し、去年から新生活の拠点を東京に移している私であるが、両親もまたこの4月から新たなステージに立つことになる。
まずは母から。
母はもともと車関係の会社(正確には会社ではないが)で事務員として働いている。
しかし、少数精鋭の田舎の組織ではパートも正社員も同じ業務内容であったらしく、決算の時期には忙しくしているようであった。
とはいえ僕には疲れた顔ひとつせず元気に振る舞っていた母であった。
そんな母は今年の4月から正社員になる。
去年、母の中での一大決心をして、正社員登用試験を受けることにしたのだ。
この4月に正社員になるのは、新卒で高校や大学を卒業して入社してくる20歳前後の若者である。
そんな中で50代の母が同じ土俵で頑張ろうと決意したことは大変尊敬すべき出来事である。
母はこれまで、正社員とパートが同等の業務内容であること、それでも正社員の方が待遇がいいことに不満を持っていたのだろう。
だから正社員になるということは単に新たなチャレンジということだけでなく、母なりの「働き方改革」なのだと思う。
正社員になったからといって部署が変わるわけではないのだが、今度からは正社員としてよりステップアップした働きで自分らしく頑張ってほしいなと陰ながら思う。
僕も働き始めて、今となっては親と子という関係以上に、親を社会人の先輩を見るような気持ちで応援しているところもある。
そして、勇気を持って「働き方改革」を実現しようとしている母をこれからも応援し、必要があれば僕にできることならサポートしたいと思う。
続いては父。
父と僕は同業者である。
小さな頃から父親の仕事には憧れを抱いていた。今は別の場所にいるけど仕事のことを共通項にして話ができるのは嬉しい。
あまり仕事の話や仕事の相談はしないが、同業者として尊敬する部分は大きい。
そんな父も長いキャリアのゴール目前である。
あと数年で定年だ。
しかし、定年まであと数年とはいえただ時間が過ぎて知らぬ間に定年というのでは寂しい。
そんなことを思っていた矢先のサプライズ人事である。
父は職場で今までよりも責任のあるポジションに任命されたのだ。
父自身は驚いていたが、僕はその人事異動を聞いて誇らしい気持ちになった。
まだまだ頑張れってことなんかな。
より責任のある忙しいポジションにつくことは誰にでもできることじゃないと思う。
ただランダムに選ばれてそうなったわけではない。
今までのキャリアも積み重ねのなかで職場内で認められたからこその人事だと思う。
まさか今自分が23歳になって両親が仕事関連で新たなステージをいくとは思ってもいなかった。
そして僕ももっと頑張らないといけないなと励まされている。
両親もまだまだ現役、これからである。
二人ともより責任ある立場になるだろうし、いいことばかりではないかもしれない。
だけど、二人の新たなキャリアに対して尊敬の意を評したい。
両親も頑張っているんだ。
頑張っている人を見ると僕も頑張ろうと思える。
まさか両親がその対象になるとは想像していなかったけど。
4月からまた新たなステージが始まる。
ワクワクする。
健康には充分気をつけて新しいポジションで頑張ってほしい。
僕ももっと頑張って2人に誇れるようなでかい人間になります。
この3月、両親は僕に新たな刺激を与えてくれたようだ。
俺も負けちゃいられん。
大学に行ってよかったことと人生論
大学生は人生の夏休みというが、僕にとって大学生活は、後先考えずさまざまな興味に飛びつくための絶好の機会だった。
旅しかり、勉強しかり、恋愛しかり。
一見人生にどう役立つのかわからない道草をするいい機会が大学生だと思う。
高校生の時は大学に入ることが最大のゴールで、そのための勉強をできるだけ効率良くこなせる人間が優秀だったけど、大学生では、「正解は一つではなく、自分の興味が惹かれることを自分の満足ゆくまで追求すればそれが自分なりの正解になる」ということを学んだ気がする。
社会に出れば仕事で結果を出さないといけないし、お金をいただいている以上下手なチャレンジでリスクを冒すことはできない。
でも、唯一社会人の僕がリスクを冒すとするのなら、「休日」である。
休みの日なら何をしてもいい。
もちろん常識の範囲内でだけど、やりたいことにたくさん挑戦してみればいい。
仕事に直接役に立つ勉強や仕事のための準備をするだけが休日じゃない。
せっかく休日という最高の時間をゲットしてるんだったら、やりたいことをすればいい。
仕事をする中で学ぶことや成長することはあるんだけど、仕事をしてるだけでは個性は生まれないと思う。
その人らしさが形成されるのはまさに休日でどんな時間を過ごすかにかかっている気がする。
休日こそ人生である。
人生を豊かにする方法は、休日を豊かにすることだと僕は思う。
大学生の時みたいに毎日が自由では決してないが、だからこそ限られた時間で豊かな人生を作りたいと思う。
働く意味、それは社会に貢献することだと思う。
ただ、社会が何を求めているのかをじっくり探るには自分が社会に飛び出していろいろ経験をしてみないとわからない。
そのために、チャレンジする休日でありたい。
休日で失敗するのは大いに結構である。
休日に失敗した経験こそが自分の人生に学びを与えてくれる。
たくさん遊び、たくさん失敗し、そこからたくさんの学びを得ていく。
そんな人生を過ごしていきたい。
今しかできないことは今すぐやらないとチャンスは通り過ぎる。
チャンスの神様は止まらないベルトコンベアに乗って一瞬だけ目の前を通る。
その瞬間に得られなかったチャンスは二度と巡ってこない。
そして、別の誰かがそのチャンスをものにすることになる。
人生とはそういうもんだ。