献血すると気分が良くなる。
本日、人生3回目の献血をしてきた。
初めて献血したのは20歳の誕生日を迎えた時。
当時大学生の時、一人暮らしをしてた大阪で初体験した。
お金を入れなくてもボタン押せば何杯でもフリードリンクがいただけることにワクワクしてた。
そして前回からは引っ越してきた東京の有楽町献血センターで献血をしている。
何も予定がなくてよく寝た次の日は献血日和である。
今日も外はよく晴れて、何も予定がない休日なので、最高の献血日和である。
23歳、まだ自分が人のために直接役立ってるという実感が得られない時期だけど、この瞬間だけは誰かに直接役立ってるんだろうなと思えるのである。
献血は健康な時しかできない。
父も若い頃はよく献血に行ってたと聞いた。
まだまだ父は健康だけど、歳をとれば完全体ではなくなる。
若くてまだまだ元気ハツラツな今しかできないことをやりたいと思う。
僕の400mlはほんの少しの力にしかならないけど、その400mlでどこかの誰かが少しでも健康になって、その周りの家族や友人までもが少しでも元気になってくれるのなら今日ここにきた意味があると思う。
たったひとりの人間が社会に与える影響というのはわずかかもしれない。
しかし、そのわずかな影響力がつながればきっと地球は平和になる。
なんてことを思う。
ま、ほんまに平和になるかは知らんけど、徳を積めば幸せになれると信じてこれからも社会に微力ながら貢献していきたいです。
また来よう。
そのためにも自分の健康は日々欠かさずマネジメントしていかないとな。
歴史を知ること
「趣味:歴史」 と書くと大体想像されるのは、幕末の志士や戦国の武将、はたまた平安の貴族文化である。
確かに先日までは僕の中でも
歴史=中学高校で勉強した歴史の教科書の範囲内でのお話
だった。
しかし歴史とはそれだけではない。
最近僕が興味のある”歴史”は、私が住んでいる東京の歴史である。
僕は地方出身なので、東京はまるで異世界である。しかし東京に住み慣れると、わざわざ東京の過去のカタチに興味を持たなくたって、魅力的でおしゃれな文化は常に更新されている。
でも、歴史を探究すると現代の東京の見え方が変わってくる。
地名ひとつとってもそうである。地名で検索してwikiをみてみるだけでも違う。(その情報の確かさは検証すべきところがあるかもしれないが。)
このほかにも、人の歴史、つまりなぜ孫正義は世界的企業のトップとして成功できたのかを探究することさえ、僕の中では歴史の探究である。
歴史の教科書流に書けばたった数行で終わるその人の歴史も、自分なりに探求すれば新しい発見が生まれると思う。
歴史は、今に生きる私たちに新たな発見を与えてくれる。
教科書だけでその人の人生を片付けることはできない。
そりゃそうでしょ。
歴史は奥深い。
知れば知るほど。
だから勉強に終わりはないのである。
ミルフィーユのように積み重ねる
最近、「人生ではいきなり高いところに到達することは難しい」と言う当たり前に気づいてきた。
高い目標を持つことは素晴らしいが、ゴールをイメージしているだけではなかなか物事が進まないことが多い。(経験的にそう思う。)
ではどうすべきか。
達成した姿だけではなく、そこに到達するまでの”過程”をイメージすることが重要かもしれない。
つまり、どんなに立派な家を建てると意気込んでもまずすべきは基礎をしっかり固めること。そして、骨組みを立てること、続いて外壁を作り、屋根を作り、配管を整備し、内装を整え、外装も整え、やっと家が完成するのだ。
私はどうしても「完成された綺麗なお家」それしかイメージできていなかった。
だから、目指し始めた頃はすごく気分が高揚するしワクワクするのだけど、いざ着工してみると実際やることは地味で小さなことの積み重ねだということに気づいて少しテンションが下がる、と言うのがいつものパターンである。
しかし、どんな成功者もそこに至るまでの地道な「過程」が存在する。
そこを無視しては成功は掴めない。
成功者の、目に見える成功の形だけに目を向けてた自分は何もわかっちゃいなかった。
彼らの、誰にも知られていない努力、挫折、失敗を見ようとせず、ただ「いいなー」と眺めているだけだった。
大いに反省する。
そしてこれからは自分自身も「地道な努力」を重ねていきたいと思うのである。
理想のきらきら人生ばかり眺めているとどうしても目の前の作業の地味さに気分が沈む。
だから、あまり先は見過ぎないほうがいいのかもしれない。
ただ目の前にある自分が信じた道を、着実に進み、努力を毎日欠かさず積み重ねていった結果、いつかとんでもなく高いところに到着している、そんな人生の歩き方に変えよう。
ここで小まとめ:改訂版 今日から変える「人生の歩き方」
1. まずは目指す姿をイメージする(ゴールは明確に設定しておかないと達成したのか判断できない)
2. そこに至るまでの経路を確認する。行き方は1つじゃない。過程は1つの正解があるわけじゃないから、途中で遠回りしても、休憩しても、それは間違いじゃない。
人生は最短距離でゴールしなければならないわけじゃないから。
3. とにかく歩みを進める。 スタート直後は、一見近づいているのかどうか全然わからない。でも、自分の信じた道をただ進むことでしかゴールに近づく方法はない。
3がポイントかな、今の自分には。
どうしても最短で速攻いきたいのはわかるんだけど、、一歩一歩歩いていってもちゃんと着くから。
そういう成功体験をこれからの人生でもっともっと積み重ねていけば、もっと自分を信じて自信を持って前に進んでいけると思う。
まだ成功体験が少ないうちは本当にこの道で合ってるのかと不安になるけど、勇気を持って進もう。
たとえ遠回りになってもいい。
1日1歩進むと言うことは、昨日の自分がいたところから少なくとも1歩は前進しているということだから。
歩みを止めるな。
ミルフィーユにように、積み重ねていくことでしか大きな喜びは得られない。
23歳になりました。
2月に誕生日を迎え、23歳になった。
ふと両親の目線で自分を俯瞰してみた。
すると23歳になることって、特別な意味があるのかなとふと思った…。
23年前、両親のもとに生まれ、たくさんの愛情を注いでもらって大切に育ててもらったと思う。
両親だけじゃなくて、父方も母方もどちらもの祖父母にもたくさん愛情を注いでもらった。
たくさんの親戚にも大変お世話になった。
僕は決して1人でここまで生きてこれたわけじゃないんだなと思った。
一人暮らしを大学生で始めて、もう5年目になる。
一人暮らしをしていると、もう何もかも1人でできるような気がしてくるけど、実は全然そうじゃなくて、まだまだ家族には助けられる部分も大きい。
離れていても僕のことを気にかけて連絡してくれたり、お米や野菜、お菓子やレトルトのカレーなんかを送ってくれることもよくある。
送料を考えたら僕がこっちで買った方が安くなってしまうこともあるんだけど、それでも定期的に荷物を送ってくれる家族には感謝の言葉しかない。
大学を選ぶ時も、就職で上京する時も、本当にワガママを言ったしたくさん言い争いになった。
それでもいつも応援してくれる家族の存在はいつまでも僕の人生において偉大な存在である。
普段家族と過ごしていないとこういう感覚は薄れがちで、自分1人で生きてる感覚に陥るんだけど、家族はいつでも離れて暮らす僕を心配してくれてると思う。
仕事をし始めてからは自分の都合だけで自由に帰省できないし、コロナの影響もあるから余計に家族には不安を抱かせてしまっている。
申し訳ない。
だけど、自分の意思で今ここにいる以上は、
家族に成長し続けている僕を見せなきゃいけないとも思う。
幼い頃は親や周りの人たちが僕を見ててくれた。
だけどその人たちは今近くにはいない。
だから僕はひとりで頑張らなくちゃいけない。
ひとりじゃないんだけど、実際にはひとりなんだ。
考え込むこともたくさんあるし、理想通りの人生じゃない。
でも、そんな時に弱い自分を家族には見せたくない。
もっと心配をかけると思うから。
だから、家族と会うのを楽しみにして、それまでには何か成長して良い方向に進化した自分でありたいなと思う。
それが、僕にたくさんの愛情を注いでくれて、また、投資をしてくれた家族への恩返しだと思うから。
事実、たくさんのお金を僕のために使ってくれている。
ひとりっ子だから両親は僕にたくさんの経験をさせてくれた。
その経験があるから今の僕が形成されてきた。
今僕は、自分でお金を稼ぐようになり、これからどんな自分を作っていくかは僕自身の判断に委ねられている。
今までなら親が全てやってくれて何も考えなくても良い方向に進めてくれた。
そのありがたさをちゃんとわかったのはつい最近のことだ。
今からは自分で決めていくのだ。
とても不安だけど、そうやって自分自身を自分の判断で形成して行くのが大人なのだと思う。
22歳まではまだ子供だったし受け身でなんとか生きてこれた部分が大きい。
だけど、これからは人生の多くの部分を自分の判断と自分の責任で生きていかなきゃいけない。
23歳になったということの意味は僕の人生でかなり大きいのかもしれない。
まだ実感はないけど、これからは自分の行動ひとつひとつを自分で尻拭いしていかなきゃいけない。
その反面、自分の力でやり切ったことは自分の宝にもなっていくはずだ。
自分の人生を、自分の手で操縦桿を握って動かして行くのがこれからの人生だ。
高校生までは親がほとんど操縦桿を握ってくれ、大学時代は、操縦桿は自分で握ってたけど親が横でナビゲートしてくれてた。
今年からは横に親はいない。
自分で目的地を決めて、自分でエンジンをかけて、自分で離陸して、自分で安全に飛行して、自分で危ないものを避けて、飛びながらも自分でタイミングを見計らってうまく休憩をとり、自分の判断で安全に着陸しなきゃいけない。
そういう時が僕にもきたということなのだ。
ちゃんと大人になったのだ。
ここまで連れてきてくれてありがとう。
そして、これからの人生、ここまで連れてきてくれたたくさんの人に誇れる人生を送れるように頑張ります。
長々と書いてしまったけど、一年に一度の記念日を迎えるにあたっての想いなので許してください。
解き放たれる
今日を機に、YouTube、SNS、その他いろんな情報サイトから一度離れてみることにした。
ーどれだけ便利な世の中になっても、それだけで人は幸せにはならないと気づいた。
そして、不便だからといって決して不幸ではないー。
ふと、高校までを過ごした地元を思い出した。
僕の実家は山間にあり、目の前を田んぼと畑、家の裏手は森が広がる。家からコンビニまでは車で15分かかり、近くにスーパーまでは20分ほどかかるような田舎だ。隣町の映画館は10年くらい前に潰れ、2時間近くかけて出かけないと映画館はない。たまに市民ホールで上映されることもあるが…。
もちろん、スマホさえあればわざわざ車を走らせなくても映画が見れる時代になった。
スマホで注文しさえすれば時と場所を選ばずにAmazonで買い物ができる時代になった。
時代は進歩した。
18歳で都会に出た僕はもっと便利さを知った。
22歳で東京に出てきてもっと便利な世界を知った。
美味しいご飯が食べられるレストランは車を走らせなくても自転車で行ける場所にたくさんある。
コンビニも家の目の前にある。
勉強しててわからなければYoutubeの動画を見れば誰かが教えてくれる。
自分の足を使わなくても、ここにいればなんでも手に入ると思った。
しかし便利さによって幸せを手にしたかと問われれば、全てがそうではないと答えるだろう。
便利でありがたいことはたくさんある。
しかし便利が溢れると人は怠惰になる。
動かなくても欲望は満たせる。
怖いと思った。
このままじゃ引きこもりになると思った。
あの頃が懐かしい。
なぜか日テレ系列が入らず、母の実家に行かないとごくせんもイッテQも見れなかったあの頃。休日はもっぱら裏山で秘密基地作りか川で魚釣りか畑や田んぼのお手伝いをしてた少年時代。
アクティブでアウトドアな自分が確かにいた。
その心を今、忘れかけてた。
便利すぎる世の中のシステムから解き放たれ、もう一度本当の自分を取り戻そう。
時代は進歩したが、僕は進歩したのか?
わからないことがあれば図書館で文献を探し、人とは直接出会い、野山を駆け巡った頃のように、
世界中を走り回る自分が本来の自分であるはずだ。
便利は少しだけ僕を押さえ付けていただけだ。
そして、少しの不便を課すことでかえって僕はアクティブになれると思う。
便利を手放し、今解き放たれる。
MISSION 元スターバックスCEOが教える働く理由 岩田松雄 著
大まかではあるが、二点に絞って本書から得られたことを僕なりにまとめてみる。
1.従業員にまで浸透したミッション
”人々の心を豊かで活力あるものにするためにー
一人のお客様、一杯のコーヒー、そして一つのコミュニティから”
このミッションステートメントがアルバイトひとりひとりまで浸透してるのがスターバックスである。
そして、スタバという企業はコーヒービジネスではなく、「ピープルビジネス」であると言うこと。
つまり、人々の心を豊かにするためにたまたまコーヒーを通じてやってるだけであって、紅茶でも、ピザでも、おにぎりでもよかったと言うこと。
実際、お金をかければいいデザイナーは雇えるし、高級な豆と高価な機械を使えば誰でも作れる。しかし、一朝一夕にできないのが心のこもった接客である。
70時間にも及ぶ研修を通して「何をしなさい」ではなく「なぜそれをやるのか考えなさい」と言う教育をしている。
だからこそ、「“いらっしゃいませ”ではなく“こんにちは”と言おう」という声かけに変えた時も、それはマニュアルとしてそういう文言に変えたことに意味があるのではなく、その本質は、お客さんとの親近感を感じさせるためなので、「今日は寒いですね」でも「お仕事お疲れ様です」でもいい。つまり“なぜするのか”という思考を繰り返すことで応用が効くようになってくる。
また、社員として利益ばかり追求していては決してできないような行動(マニュアルに載ってない行動で、店員が個人で判断して起こした行動)も会社が認めてくれており、スターバックスの社員である前に人間として正しい判断ができるようになってほしいというトップの考え方からもわかるように、人間教育を重要視している企業であることがうかがえる。
そういう社員が育つ環境を用意している企業であるということ。
そしてそういう社員がいるお店に人は集まるということが、「ピープルビジネス」という言葉の意味ではないかと感じた。
2.自分の人生に対するミッションを持つこと
それは決して肩書きや経歴では見えない、人間性に現れる。
今所属している会社のミッションを意識して働くと同時に、自分自身のミッションは何なのか?を自問せよ。
つまり、どこの会社で働こうとも変わらないミッションを持つことで自分が主体の人生に変わるということ。
そして、それを自分の言葉で周りに納得してもらえるように伝えることで仲間が増え、次第に社会に価値を提供していくことができる。
また、ミッションは軌道修正していってもいい。それは自分に新しい知見が得られ、新しい考え方ができるようになった証拠だから。
注意すべきは、働き方を考えることではないということ。会社員なのか、経営者なのか、公務員なのか、ノマドワーカーなのかは働く意義を考える上での本質ではない。
ウルトラマンにとっての3分間
1日は24時間で、平均して7時間は睡眠にあてたい僕に残された活動時間は17時間である。
17時間のうち食事にあてる時間がざっと3時間。
顔洗ったり、風呂入ったり、着替えたり、うんちしたりする時間が合計2時間とすれば、残り12時間である。
休日ならば12時間も自由時間が与えられるのだ。
これはウルトラマンが地上で活動できる時間の240倍もある。
3分の間に敵を倒し地球を守るウルトラマン。
たった3分の活動に対して得られる効果は計り知れない。
その一方でウルトラマンの240倍の活動時間を与えられたノーマルマンの僕は何一つ地球に貢献してないのではないか?
まあ、休日まで地球のために働けとは言わないにしても、自分自身のためにもほとんど時間を使えてないではないか。
ウルトラマンは休日に何をしているかは知らないが、3分間で地球を怪獣から救えるような彼が12時間もの自由時間を与えられたら自分よりも間違いなく充実した暮らしをするだろう。
いや、、、違うかもしれない。
12時間もまとまった時間があると、人は安心してだらけてしまうのかもしれない。
ウルトラマンが人かどうかは存じ得ないが、人は誰でも12時間もあればだらけてしまってもおかしくはない。
3分間というわずかな時間のなかで、彼に与えられた任務はあまりに巨大である。
そのプレッシャーは計り知れないものだろう。
そう、つまり、タイムプレッシャーがあり、かつ、与えられた時間に対してやらなければならない仕事量が多いほど集中して取り組めるものなのだ。
そりゃ、12時間与えられて、別に12時間もかけなくてもできることしかやらないでいい休日はだらけても当然だ。
だ、け、ど、、である。
だらけても仕方はないのだが、だらけていては理想の自分にはなれない。
そこが難しいのだ。
特に1人で自分のことを律し続けるのは困難である。人類の歴史を考えても、意志の力だけで12時間もの集中を長期間にわたり継続できる人が多数だとは考えにくい。
そこで、その問題をどう解決しようかと考えた結果、いくつかの解決への糸口が思い浮かんだ。
その1 分ける
12時間ぶっ続けが無理なら、1時間ずつ。
3分間でもいい。3分間なら240セットやれば12時間達成である。
その2 他人を巻き込む
一人でやっててもしんどいから、人の目がある場所に移動するとか。
もしくはSNSで他人にチェックしてもらうとか。
その3 記録する
12時間の時を過ごして何ができたのか、また何ができなかったのか、文字に起こして記録を続け、できることなら他人に発信していくことで何もやらないわけにはいかない状態を作る。
その4 ハードルを下げる
高い壁であるほど登った時気持ちいいのはわかるのだが、そ子に至るまでの長い道のりを想像した時にやる気が削がれるというのはよくある現象だ。
だからまずは目の前の届きそうなところまで。
最終ゴールはずっと先にぼんやりとでも見えるようにしといて、ゴールと呼べるほどではない一歩先にまずは行ってみればいい。
勉強なら、ノートと問題集を開いてペンを持ち、(1)と書くだけで進歩である。
まあそんなところで。がんばれ自分。
集中力が切れてきたので今日はこの辺で。