れんこんのあなのなか

1998年生まれの男の頭のなか

アナログの優位性(その1)

なぜこの時代に、あえて紙とペンで文字を書くのか?についての腑に落ちる説明が欲しくて、紙とペンを用いて考えてみた。

 

この文章は、一度紙に書いた私の思考を文章に再構成しなおしたものである。

 

まず第一に、アナログというのは連続的に変化する量で表すもので、デジタルというのは、変化を段階的に区切って表すもの、と簡単に定義しておこう。

 

時計がいい例。

また、絵を描くことについて考えると、

紙とペンで描く場合、色の"間"というものがある。すなわち、デジタル上では決して表せないなんとも表し難い色というものもアナログなら表現できる。

 

本題に戻ると、なぜ私はこの時代に紙とペンで文字を書くか?であるが、

 

そもそも、思考というのはアナログなものであることが大事なポイントであろう。

つまり、思考というのは区切りなく連続していて、ときに広がり、ときに間違いを犯し、ときに横道に逸れて枝分かれするものであるのだ。

 

その一方でデジタル表現というのは、絶対的なもので、全て再現性を持つ。

アナログ表現は再現性を持たない。

 

再現性を持つ利点としては、誰がどう見ても全く同じ実体であるということで、事実を伝えるだけならそれでいい。むしろその方が早く的確に伝わる。

 

ただ、デジタルの、ただ事実を連なるという部分は、思考を言語化するときには少々厄介な特徴にもなる。

なぜなら、思考というのは方向を持たないからである。文章のように右から左、このブログであれば上から下へと一定の方向を持つ文章とは異なるのだ。

 

しかし、アナログな手法を用いるとこの方向性に関する問題は解決する。

 

真っ白な紙の上にペンでひたすら思考を吐き出すという方法、あるいはマインドマップもそれに近い表現である。

これをすることによって、思考がなるべくその形を変えない状態で紙の上に現れる。

 

それこそアナログの優位性であると考える。

 

そのアナログ表現を、一般的には創造性とも呼ぶのだが、この創造性を生み出すにはどうしてもデジタルだと制限が多い、というのば事実である。

 

結論、

「アナログは、思考という方向性を持たない概念をありのまま言語化する際に役に立つ、制限の少ない表現方法であるから。」とまとめられようか。

 

さあ、

つづいての記事では、アナログで作った文章(手書きの文章)=紙と、ブログ記事やスマホのメモ帳、LINEの文章などと言ったデジタル上の文章=データについて、

その管理方法に視点を当てて話を進めることとする。