アナログの優位性 その2
先に述べておくが、決してアナログがいい、アナログ推進派!ということではない。
アナログもデジタルも一長一短あるのは分かりきっている。
私が求めているのは、
なぜこのデジタル社会においてアナログが残るのか?についての腑に落ちた説明が欲しいという単なる個人的感情に基づく考察
である。
さあ、管理方法について比較したとき、
私はやはりアナログな管理の優位性があると思う。
デジタル管理の利点として、スマホ一つに膨大なデータが保管可能という点、アプリなどを使ってかなりわかりやすく整理することも可能というところは十分承知しているが、である。
アナログな管理の代表例その1
本について
今や電子書籍でいくらでも読める時代
また、スキャナーに読ませることで膨大な本を薄っぺらなタブレット一冊にまとめて持ち歩くことも可能な時代、、
ただこれが本当に便利なのか?という疑問がある。
なぜなら、そもそも"全部"を持ち歩く必要性はない、と思うからである。
私は、読む方法として紙ベースかデータベースかというのは問わない。
ただ、電子書籍の個人的苦手なポイントとしては、取り出すのにアナログより手間がかかるという点だ。
本であれば、整理された本棚から探しさえすればいい。そこにあるからだ。
データの場合、ファイルをわけてせいりするのはいいが、整理すればするほど奥深くに埋まりやすいというパラドックスが発生する。
もちろん、音声検索のように、一発で探し求めたものを取り出すのも可能だが、現物がそこにないのが好かない。単純な理由だが。
例二つ目、勉強する際の手法について
ノートをとる際、今の時代板書を写真に収めることで吸収した気になるお馬鹿さんがたくさんいるのだが、写真を撮って、それが記憶される先はキミの脳ではなく、スマホの写真フォルダだぞと強く言いたいのだ。
スマホは私たちの脳ではない。
スマホは私たちの脳ではない、のだ。
いつも肌身離さず持ち歩くスマホはまるで私たちの体の一部のように錯覚するのは仕方ない。しかし、決してそうではない!のである。
一方、ノートにペンで書くという行為は脳に記憶を定着させる行為そのものである。
ノート自体は私たちの脳ではないのだが、
ノートは私たちの脳のプラットフォームとでもいうべきか、、ノートは私の脳をありのまま表現したものなのだ!
じゃあスマホにメモするのも同じ効果があるんじゃないか?という質問に対してはこう答えよう、
スマホのメモ機能は大変便利だが、どう考えても制限が多過ぎて、脳のプラットフォームと呼べるまでには至ってない。
なぜなら、自由度が少ないから。
文章を打つスピードも手書きのほうが早い。
単に人の話をそのまま書き写すだけならタイピングの方が早いのだが、ノートを書く理由は議事録とはちがうのだ。
何を見聞きし、お前の脳は何を感じたのか?
それを言葉として表現、、もう少し私の感覚的な言葉でいうならば、言葉として吐き出す場が、ノートないし紙の上なのである。
デジタルでそれと同じ効果は得にくい。
iPadの手書きについても、私が書こうとしている文字とそこに映し出される文字はどう考えてもズレがある。
私の字ではないのだ。あくまで、ペンの軌道をデータ化して表現してるというわけで、ずれが生じるのは当然なのだ。
かつ、管理する場合の自由度も低い。
ファイル化できるのは大変便利に見えて、探す手間がかかる。
スマホという電子機器はあくまで他人が作成した機械だという認識を忘れないで欲しい。
作った人が一番使いやすいはずなのだ。
スマホを作ったわけでもない私たちが、100パーセントスマホを自分の道具として使いこなすのには限界があるのだ。
その一方、ノートや紙の場合、自分のオリジナルの管理ができる。
私なりのオリジナルの管理、この紙はここに置く、この科目はどんな素材のファイルを使って、どのサイズのファイルで、、など全て選択できる自由がある。
だから私はこの時代においてもなお、アナログはデジタルに全く劣らないと言い切れるのである!
かつ、デジタルがどれだけ進化しても、デジタルとアナログとは全く性質が異なるものである以上、アナログが絶えることはないと言い切ってもいい。
アナログの上にデジタルがあるのではなく、
アナログとデジタルは、日常におけるその比率は変わりつつも、必ず共存するものであると思う。
そもそもアナログとデジタルという二項対立で議論してる私であるが、アナログ的思考をすれば、アナログとデジタルという二つの言葉の間にあるまだ言葉で表せてない何かが存在していてもおかしくはないのだ。
デジタル上でアナログを表現するみたいな感覚なのかな?
(↑やはり脳で考えてることを言葉にするとどうしても陳腐なものになるなあ。この点は、アナログもデジタルも脳に近づきつつもまだ離れてるよな)
まあ、とはいえ
まだ未来はもっと良くなるはずである。
2021年にはこんなことをおもったよ、
ってなわけでおしまい。